<卒業生インタビュー> ㈱シェルシュ 代表取締役 エグゼクティブシェフ 丸山智博さん
「ウィズコロナ」の時代。
外食産業を担う卒業生たちは、どのような心持ちでビジネスをしているのでしょうか?
最前線で活躍されている卒業生にヒントをもらうべく、インタビューを行います。
お話をうかがったのは、人気フレンチ「MAISON CINQUANTECINQ」、フレンチレストラン「AELU」、居酒屋「LANTERNE」など 複数の人気店を展開する株式会社シェルシュ代表兼エグゼクティブシェフとして活躍する丸山智博さん。計20名ほどのスタッフと共に代々木上原のフードシーンを牽引してきました。メニュー開発やケータリング、空間やイベントのディレクション、コンサルティングも手掛けています。
<在校中について>
―――― レコールバンタでのコース名、卒業年次を教えてください。
2001年のデリ&カフェコース(現:オーナーコース)だったと思います。大学を卒業して21歳で入学しました。
―――― クラスは何名くらいでしたか。
当時は3クラスあり、1クラス30名ほどでした。
―――― 入学した理由は?
大学生のときにさかのぼって話しますね。
当時の自分は、バンドを組んで活動したり、居酒屋でアルバイトをしたりと学生生活を満喫していました。気付くと大学3年生で周りは就職活動をしていて、「何もしてないな。どうしよう」と思いました。でも、好きなことしかやりたくないなという気持ちもありました。そこで、自分には何ができるかと考えたんです。バンドはしていたけれど音楽の才能はないな、ファッションや建築も違うなと。
それで、「料理の世界って素敵だな」「いずれお店を持ちたいし、ご飯屋さんを持つってすごくいい」と思いました。当時はカフェをやりたいと思っていましたが料理のジャンルは決まっていなかったので、将来の解像度を上げてみたいと思ったんです。
このまま現場で働くのがいいのかと悩みましたが、レコールバンタンは1年制だったこともあり、親に相談し通わせてもらいました。漠然と「飲食の世界に行きたい、でもどういう業界かはまだ選べず色々知りたい」という人には向いているスクールだと思います。
―――― レコールバンタンを選ばれた理由を教えてください。
パンフレットはいくつかの専門学校から取り寄せたところ、多様性を感じたレコールバンタンに魅了を感じました。
大学卒業したくらいの年齢って、少しずつ自分の価値観ができてきていると思います。校舎も東京の中心ですし、渋谷、代官山、中目黒は音楽関連、ファッション関連の好きなものが校舎の周辺にあるのもいいなと。
―――― 学びたい、身につけたい目標は何でしたか?
基本的な技術と何料理をやろう、というところですよね。何料理で、料理人生を歩むんだろうっていうことを決めなくてはならない。少なくとも当時の自分はそう思っていました。漠然と、フランス料理かイタリア料理のヨーロッパの文化には魅力を感じていました。
―――― 印象的だった講師、授業はありますか。
大学時代、居酒屋の厨房でバイトもしていましたからある程度包丁は使えたし、器用なタイプだと思います。調理は、手塚講師も船木講師も優しかったですが……。
ある講師の方が、ほうきを片手で持って掃除をしていたときに「丸山、真面目にやらないと先がないぞ」って叱ってくれたんです。良かったですよね、叱っていただいて。この時の自分、生意気だったので。
―――― 当時の生活で、印象に残っていることはありますか?
とにかく、焦っていました。目指すべき目標から逆算してロジカルに物事を考えていかないと、何も残らないと思いました。高卒から食の世界に進んでいる人達や、周りは就職している中で、スタートが遅れている自分に焦りを感じていました。自分を見つめる時間を大切にしていて、すべきことをノートに書いていました。
―――― レコールバンタンでの学びが「実践的だった」「今のビジネスに活かされている」と感じることは?
ひとつは衛生管理。学校を卒業した人と、そうでない人とでは違うと思います。講師もプロフェッショナルの方ばかりなので、プロの仕事を間近で見られたことは良かったと思います。
―――― 印象的だったイベントや販売実習などはありますか。
渋谷にあるクラブで、イベントを開催しケータリングを行いました。もともと音楽が好きで、クラブでDJするのが日課でした。時代的にはiPodが出始めたばかりの時期で、音楽は足で探すもの、クラブにももっと文化があった時代です。なので、自ら外に出て音楽を知ることは、僕のライフスタイルで大事なことでした。
それで「クラブの場にご飯を出したい」と思ったんです。クラスの仲のいい仲間と、パティシエ専攻の友だちで、ケータリングをしたいと担任に相談すると、「レコールバンタンとして前例がないからダメだ」と言われたんです。僕はレコールバンタンにはそういうことに対して柔軟に取り組んでほしいと思いました。なので、企画書を作って、レコールバンタン側のメリットも強調し担任を説得したところ「各クラスにプレゼンして全生徒の許可を得られるならいい」と言ってくれたんです。
そこで、朝礼の時間に全クラスを周り、自己紹介をして企画の説明をしました。校舎の調理室も仕込みで貸してもらって、実現させました。料理一本のシェフというよりは、当時から「プロデュースしたい、空間全体で食の表現をしたい」という想いが強かったのだと思います。
―――― 在学中、アルバイトなどで飲食業界の経験をされていましたか?
大学時代は、居酒屋で働いていました。家から近かったのと朝5時まで働けたので。レコールバンタンに通ってからは、都立大に引っ越したのでカフェでバイトすることにしました。
今は、もうなくなってしまったんですが、桜ケ丘にあったカフェで、センスがいい店長と、感性豊かな女性シェフのお店でした。内装設計も自分の好きな「ランドスケーププロダクツ」が手掛けていて、きっかけは内装デザインが好きで働きたいと思ったんです。店長とシェフから学ぶことも多かったですね。例えば、カリフォルニア州バークレーにあるオーガニック料理の先駆け的存在「シェ・パニース」を教えてくれたのもシェフでした。フードカルチャーが様々なカルチャーと繋がっていると教えてもらえたことも大きかったです。
<卒業後について>
―――― 卒業後は?
当時のクラス担任だった原田講師の紹介で外苑前のレストラン「ラミ・デュ・ヴァン・エノ」に就職しました。20席ほどのフレンチレストランです。自分のお金で初めてレストランで食事をして、月並みな表現ですがとても感動しました。
小さいお店なので、支配人とキッチン三名という規模でした。最初から前菜を任されたり、ジビエも有名だったので野鳥の羽をむしったり、フォン・ド・ヴォーを仕込んだり。それまで遊んで生きてきたので、仕事が厳しく「キツイなー」と思うこともありましたけれど、半面憧れもあったので耐え忍びました。都内屈指の厳しいシェフでしたが、2年くらい働きました。原田講師の紹介ということもありましたし「辞めてたまるか」という負けん気もありました。
その後は25歳のとき、近所にあった中目黒のビストロにバイトで入りました。最終的には料理長を務めましたが、今思えばチームをまとめていくという部分では未熟で若かったです。
27歳になり、原宿のカフェでアルバイトをしながら、アパレルの展示会やレセプションへのケータリングを始めました。
ケータリングはとても楽しかったです。食を通じて、他業種の人と繋がれることが楽しかったですね。ただ、そのときはお店を持ちたいという気持ちはありませんでした。夢ではありましたが、やればやるほどその難しさも分かっていました。お金も必要だし、経営も分からないし……。
2010年あたりはパリでも食のシーンが変わっていた時期です。若いシェフたちが、ナチュラルワインと共にカジュアルだけれど、美味しい料理が食べられるビストロをオープンするような転換期でした。
そういう流れを知っていたのでフランス料理をカジュアルに提供できるお店があれば、今までのフレンチを日常にしなかったお客様も来てくれるだろうと見込み、29歳のとき、代々木上原のお店を買い取ることにしました。初めての経営でしたので心配もありましたが楽しさが勝り、自分のお店を持てるという喜びを感じていました。
―――― 「MAISON CINQUANTECINQ」開業された時期、店名、内装などを教えてください。
<オープン日>
オープンは2010年春です。
<店名>
好きなレコードのタイトルから名付けました。
<内装>
もともと、フランスの雰囲気がある建物だったので、もとをいかしながらDIYで壁を塗ったり、家具を替えたりしました。カウンターが使い辛ければ、知り合いの大工さんに頼んで、営業しながら少しずつ心地よく働けるように手を加えていきました。
―――― 開業されて経験されたご苦労についてお聞かせください。
店舗展開する中で資金繰りは苦労しました。個人事業から法人化した際の保険料の発生も大きかったです。自分は0から1を作るのが得意ですが、餅は餅屋の感覚で税理士のような社外パートナーの力も借りながら進めています。1から10にするのが得意な人の力をちゃんと借りていくことが組織づくりでは大切だと思います。自己欲求を満たすようなワンマンオーナーな時期もあったと思います。シェフとして現場メインで働いていたので、従業員全員と面談もできない時期もあり、コミュニケーションが取れなくヴィジョンを共有できていないと感じる時期もありました。
シェルシュでは、自分の役割を常に考えています。今、経営で苦しんでいる方は、自分自身と社長職との分別をはっきりして、何をすべきかを客観的に見つめ直すと気持ちが少し楽になりやるべきことが明確になると思います。会社は僕の全てではありますが、人生の全てではないと思っています。経営者は主観的感覚と、客観的感覚の行き来が大切なのでしょう。
―――― スタッフを抱える立場になって、感じることはありますか?
自分自身もそうでしたが、“社会的教育”を学ぶ機会が少なかったなと。料理の技術は学んでいても、どうしたらお店をできるか、チームビルディングが分からないという人が多いかもしれません。どんなに技術が優れているシェフでも、仲間がいなければお店はできません。スタッフには、チームを作ることやキャリアを築いていくことを教えられたらと思います。
東北沢の「ごらく」というお店は、はじめて従業員がプロデュースしました。物件探しから、コンセプト、内装、メニュー、人事、予算管理までブランディングに関わる全てを任せています。
会社内でも、自己表現ができるということを実現するために行いました。従業員の夢を実現するのも会社の目標なのです。
―――― 新型コロナウィルスの流行で、工夫された点や日頃、心がけていらっしゃることについてお教えください。
僕だけでなく、プラス4人のコアメンバーでいつも考えています。会社の価値観に添いつつもそれぞれ見ていること、大事なことが違うなかで、真剣にディスカッションしたことが絆にもなったと思います。
ウチは要請に全て従いました。お酒も出さず、ルールに従って営業して良かったと思います。それもあってかクライアントさんから「シェルシュさんは信頼できる」と言われることもありました。その信頼感がまた別の仕事に繋がるかもしれません。ただし、1店舗だったら方法を選び営業していたかもしれませんし、それぞれの状況や価値観が違うので僕たちが全て正しいとは思っていません。
落ち着けば、お客さまは絶対に来てくれるという自信はあったので、社員やその家族の健康を一番に考えていました。
―――― 飲食ビジネスの面白さ、喜びについて教えてください。
いっぱいあります。仕事って、突き詰めると人のために何ができるかだと思うので、従業員でも、お客さんでも、B to Bのお仕事でも、それぞれに喜びがあります。尊敬している人から「すごくいい仕事だったよ」と言われたらめちゃくちゃ嬉しいですし、プロデュースしたお店で、お客さんが「すごい美味いしね」と喜んでいる姿を見ても嬉しい。クライアントの会社の売り上げが伸びて、働いている人が「給料が上がったよー!」と喜んでくれてもいい。料理を作っていない僕のような立場でも、その喜びは感じられると思います。でも原点は料理を作って、喜んでもらうのが僕は一番好きです。あと、従業員にスポットライトが照らされ、活躍するのも嬉しいですね。
――― プロデューサーとはどのようなお仕事でしょうか?
様々な企業案件の店舗開発やメニュー、コンセプト開発、テーブルコーディネートやプロモーションなど多岐に渡ります。飲食店の内装設計なども手がけています。来年、2年後、3年後の案件も同時に走っています。
―――― 振り返ってみて、最も大変だった時期は?
現場を離れた5年目くらいですね。
料理を作る現場にいるのではなく、「社長」として皆をまとめて、しなければならない仕事をしないとまずいぞと思い、組織を作る方向に自身の業務を軌道修正しました。
社長の仕事はコレ、店長の仕事はコレ、部長の仕事はコレと明確にしました。お客さんは来ていましたが、会社が不健康なことを感じていました。いい循環がしていなかった。なので、アイドルがマイクを置くような感じで包丁を一旦しまいました。
もうひとつは、2013年にオープンした「GRIS」を7年目で閉店したこと。結果として譲渡はいい決断でしたが育ててきたお店をたたむのは少し寂しかったですね。機会があればまたやりたいブランドです。
―――― 会社として物事を判断するときに、大切にしている基準は何でしょうか?
先日もシェルシュをどうしたいかとメンバーと話をしました。その時に「カッコいいことをしていたい、カッコイイ生き方をしていたい」という結論に至りました。では、カッコよさとは何か?自分の信念を貫く姿勢だと思います。これからもシェルシュの信念(企業理念)、それぞれの持つ価値観を大切に育み進んでゆきます。
――― 飲食業界で活躍するうえで必要なスキルとはどのようなものだとお考えでしょうか?
シェフもサービスも、コミュニケーション能力。人間との仕事なので、人が好きじゃないと。お客さんと、上司と、スタッフと上手くやれているのは、コミュニケーションが取れる人ですね。
人を大事にし、周囲に感謝しながら生きる、そのうえで技術、知識は当然必要ですが。
飲食業界は、いろんな働き方、関わり方があります。シェフ、ソムリエ、プロデューサー、フードスタイリング、ケータリング、もっと広く料理専門の写真家でもいいと思います。
――― 飲食業界を、どのように捉えていますか?
食の仕事を選んだあのときの自分を褒めてあげたいです。
特に修行時代は、給料が少ない時期、プライベートの時間が少ないこともあると思います。若い子たちが入社したときも「飲食っていい仕事だよね」と話しています。僕たちは、これから食をより良い業界、いい仕事にしないといけないと思っています。食べる行為は尊いです。ここ10年で消費者が食に求める意義や意識もますます高くなっています。ここからさらに、食を通じていろんなことができるようになります。コロナ禍を経て、食べることや人生の在り方が注目されていて、フードにもフォーカスされていると感じます。飲食人にとってやりがいのあるいい時代がくると思います。
―――― ありがとうございます。レコールバンタンキャリアカレッジへの入学を検討されている方にぜひ前向きなメッセージをお願いします!
人との出会いを大切にしてください。レコールバンタンで、原田講師や手塚講師と会っていなかったら、今の自分は、こういう感じではないと思います。この人に教わるとどういうことが学べて、この人に付いていくとどんなメリットがあるのかを見極めて。
あとは、自分を客観的に見られるといいと思います。今の自分に足りないことを知り、得られることを意識していってください。
<シェルシュ>
・MAISON CINQUANTECINQ(フレンチビストロ/代々木上原)
・LANTERNE(居酒屋/代々木上原、池尻大橋]
・AELU(器ギャラリー兼フレンチレストラン/代々木上原)
・ごらく(居酒屋/東北沢)