• 店舗を持たずにキャリアを築く「コーヒーコンサルタント」Swim coffee代表小田政志さん&小坂田祐哉さん

    2021年06月19日(土)

 

「新しい飲食の形」では、店舗を持たずに活躍するシェフ、パティシエ、バリスタに光を当てています。

今回、インタビューするのは、東京に拠点を構えるコーヒーロースターでありコーヒーコ ンサルタントSwim coffeeのおふたり。

 

コーヒー業界=バリスタになる、というイメージが未だまだ強いかもしれませんが。 Swim coffeeでは、自社で焙煎所のみを持ち、「お客さまをお迎えする実店舗」は持ちませ ん。 代表の小田さんと小坂田さんは、バリスタ、焙煎士としての経験と知識を活かし現在は、 コーヒーに携わる「コンサルタント」として事業を行っています。

 

具体的には……

2019年8月 渋谷松濤DAZN CIRCLEカフェのコーヒープロデュース

2019年9月 代々木上原 No.Tokyo カフェバーのコーヒーのトータルプロデュース

2019年10月 Revive Kitchen Three Aoyama コーヒーのトータルプロデュース

2020年1月 東京オリンピック会場複合施設有明Zero Base内100席のバーテラスプロジェ クトに立ち上げ参画

2020年3月 六本木蔦屋書店内The Loung コーヒー豆の提案、トレーニング

2020年4月 板橋のビールブリュワリーTokyo Aleworks コーヒートータルプロデュース

2020年7月 Newman横浜内ラウンジにてコーヒー豆の提供開始

2021年1月 学芸大学WR. コーヒーのトータルプロデュースをはじめデザインやブランディングなどから参加

2021年4月 代官山T-SITE内ラウンジ Anjin コーヒーの提供開始

 

 と、数多くの人気店のディレクション、コーヒー豆の選定から焙煎、メニュー開発、バリ

スタへのトレーニングなど幅広く活動しています。 どのような経験を積み、どのようにして現在のスタイルに至ったのでしょうか?

インタ ビューしました。

 

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(※写真 左:小田政志さん 右:小坂田祐哉さん)

 

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――――― 業界に入られた経緯を教えてください。

小田さん「僕が業界に入ったのは、2003年。当時の日本はカフェブームで、バリスタとい

う言葉が認知されるようになった、いわば黎明期。 コーヒー、昔は飲めなかったんです。お店でも、普通のコーヒーに砂糖4杯くらい入れていました。徐々に、ミルクも砂糖も入れずに飲めるようになって、コーヒーに興味を持ち始 めました。高校卒業したくらいですね。『地元にいいコーヒー屋さんある』と聞いて。それまでデザインの仕事に興味がありましたが、コーヒーをキッカケに職人の仕事に憧れるようになりました。そこから一気にコーヒーに没頭していきましたね」

 

 

――――― 「いいコーヒー屋さん」というのは?

バリスタのチャンピオン門脇裕二さんがでもある経営する島根県松江市の「Caffe Vita」。ご兄弟でそれぞれお店をやられていてお兄さんがやっていたのが「カフェロッソ ビーンズ ストア」です。バリスタのチャンピオンになったバリスタ門脇洋之さんが在籍していました。 実家から車で5分くらいの近所で「地元にそんなところがある訳ない」と思っていました (笑)いざ働き始めたら、すごく厳しくて。当初地元出身のスタッフは僕しかいませんで した。

 

 

――――― スムーズに就職できたんですね。

なぜ入れたのかは分かりません。1年待ちとか、2年待ちというスタッフもいたと聞きます。

Caffe Vitaでは、洋服やデザインが好きという話をして……。僕も入った後に、待っている人がいると知りました。

 

 

――――― 業務内容は。

全般です。4年いたけれど、バリスタはさせてもらえませんでした。サービスができて、ケーキも作って、豆売りもできる。仕事が全てできないとマシーンは触らせてもらえない んです。何回も心が折れそうになりましたよ。でも、3年目でバリスタ大会には出させても らっていましたね。ただし、お客さまには最後まで提供させてもらえませんでした。

 

 

――――― その後は?

上京しました。都内のカフェで働くことになり、当時東京ではいちばん注目されていた店だと思います。2011年に、ON THE CORNER No.8 BEAR PONDオープニングスタッフに なり、マネージャーを務めました。東京のコーヒーシーンが盛り上がっていて、その時期 は楽しかったですね。それぞれの店で考え方も違うし、ネットも普及していない時代。人づてで情報を得て勉強していました。生豆も今ほど種類がなく、それぞれのバリスタが、「どうしたら美味しい味を作れるか」を手探りで探っていました。一元的でないというか、お店によって、バリスタによって、コーヒーに個性があったんです。

 

 

<「カフェカルチャー」盛り上がる、オーストラリアへ>

「2013年に、オーストラリアに行きました。オーストラリアは「カフェカルチャーがすごい」と聞いていたので、実際に見てみたかったんです。業界のツテはほぼありませんでした。ワーキングホリデーで行ったんですが、1か月放浪したらお金が尽きて……オーストラリア人の友だちを訪ねたんです。 友だちが働くカフェに行き、そのお店が使っていた豆が、「The Little Marionette(ザリトル マリオネット)」のものでした。しかも、当日たまたまオーナーが来ていたんです。 友だちから「オーナーは滅多にこないから掛け合ったほうがいい」と言われ、「雇ってください」と直談判。トライアル(お試し)で3時間働いて……そのまま働けることに。ラッキーですよね。「The Little Marionette」では、初めて焙煎の仕事をすることになりました。ワーキングホリデーで行き、途中から学生ビザにきりかえました。 実はオーストラリアにいながらも、心の中でイギリスに行きたくて。3年後は、イギリスで仕事をすると決めていました」

 

 

 ―――――  実際にオーストラリアで仕事をして、学びは?

コーヒービジネスの在り方が、日本とは全く違います。昔の日本では、オーナーがバリスタして、ローストし、マネージメントしているのがほとんど。オーストラリアでは、大きなロースターは、社内にデザイナー、ロースターにはトレーナーがいて、配送も行っていました。テクニシャン(マシーンの調整などの専門家) も自社にいるんですよ。卸先との繋がり方も新鮮でした。豆を卸して終わりではなく継続してトレーニングを行っていたり。ロースターがひとつひとつの卸先に技術や知識も共有していました。

 

 

―――――  当時の、小田さんの働き方はどのようなものでしたか。

1週間のうち6日は働いていました。2日はバリスタ、4日は焙煎所で焙煎し、カッピングし

たり、卸先がたくさんあるのでそこにヘルプとしてバリスタで入ったり。「今日、ここのお店に行って」と言われるんですよ。なので、突然知らないお店に行き、コーヒーを淹れることになる。1日千杯出す人気店もあります。初めてのお店にスタッフと して入るときはコツがあって、まずはコミュニケーションを取ること。お店によってエス プレッソマシーンもレジも違うので、どんな場所でも仕事をする力は身に付きました。また、「お店でトレーニングしてきて」と頼まれることもあるので、スタッフに指導したり、マシーンを調整したり。コーヒーにまつわるあらゆることをバックアップするイメージですね。

 

 

――――― オーストラリアからイギリスに移った経緯は?

オーストラリアのロースターで焙煎していたときに、イギリスの「The Roasting Party (ロースティングパーティ)」社長が来ていたんです。イギリスに行きたいと伝えると、社 長が「ウチで働きたいか?」と言ってくれたので、はいと即答しました。しかも、偶然イ ギリスのワーキングホリデービザに12月に応募して、2015年1月に当たりました。なんと なく、当たる気がしていました。 今でも覚えていますが、イギリスに着いたのは夜11時で、ウィンチェスターという街に着 いたのが深夜2時。イギリスで最も大きなコーヒーフェスティバル「London Coffee Festival」にブースを出すから出て欲しいと言われ、朝4時に出発しました。フェスだから いろんなコーヒー業界の人と繋がることができました。

 

 

――――― イギリスで得られた経験は?

オーストラリアと似ていますが、会社の人数が少ない分、お願いされる仕事内容がすごく幅広かったです。焙煎はほぼ全て任せてもらい、お店のサポート、マシーンの設置、スタッフのトレーニングをして、レシピを作りました。ボーダフォンのHQ(ヘッドクオーター)に幾つもカフェを作ったり、「こういう働き方もあるんだな」と思いました。 コーヒー業界というと「対お客さん」のイメージが強いと思いますが、「The Roasting Party」はお店を持っていなかったんです。卸先やパートナーに対しての業務が100%だったので、この時「店舗を持たず、こうした関わり方をするのが面白い」と感じましたね。

 

 

<2015年~2017年は、「Routes Coffee」の焙煎を担う>

「The Roasting Party」で働いていたとき、並行して「Routes Coffee(ルーツコーヒー)」の焙煎もしていました。ロンドンの卸先に、豆を持っていったとき、シドニーで出会ったウィルという友人に再会しました。彼は面白くて、気が合いました。彼もコー ヒーでビジネスをしたいと、エスプレッソマシーンを車に積み移動販売をしていたんです。ポップアップとフェス専門で営業していて、大きなフェス出るようになり、1日25kg のコーヒー豆を使ったりもしましたね。僕が焙煎をするようになりバリスタとしても一緒 に多くのフェスでコーヒーを淹れました。ロンドンでは期間限定のポップアップを、初日100ポンドほどの売り上げだったのが、3~4週間後は500ポンドになりました。

 

 

――――― 売上げを増やすコツは?

いいもの出せば結果が出る、ということだと思います。彼らとは今でも仲が良いのですが、自分たちでカフェや焙煎所も持っています。ヨーロッパのF1みたいなイベントでブー スを出していましたよ。スポーツブランドと仕事をし、卸先も増えているようです。彼らと仕事をすることで、コーヒーの働き方の幅が広がりました。

 

 

――――― 日本に帰国したのは?

リトルマリオネットのボスから「NYでカフェをやろう」と誘われましたが、アメリカの大 統領も変わり日本人へのビザが発給されない時期になってしまったんです。ハンガリーの ブタペストでコーヒー店を営む知人と、ドバイでロースターを開く、という計画もありま したが、その話も投資家の都合で立ち消えになりました。出店準備の合間に、日本に帰ってきていていました。

 

 

――――― 日本ではどのようなお仕事を?

 2018年、帰国してすぐに、鎌倉でカフェの立ち上げに携わりました。業者との交渉やス タッフトレーニング、お店のレイアウト、マネージメントなど、現場に立つコンサル契約 を結びました。1年間の契約が終わって、Swim Coffeeをスタートしました。自分の総決算 というか、日本、オーストラリア、イギリスと、さまざまな国、さまざまな場所で培って きた経験を活かせると思いました。

 

 

――――― コーヒー業界のコンサルタントというのは、珍しいでしょうか?

目指す人はあまりいないと思います。運よく、今では色々なお話をいただけるようになりました。

 

 

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<小坂田祐哉さん>

――――― コーヒー業界に入られた経緯は?

地元北海道から東京に出てきて音楽業界を1年で辞めました。「ライブ制作」という仕事で、40日間ずっと働いて1日休んで2 週間ツアーに出るなど、多忙で休みもありませんでした。例えば、アリーナでライブをやると1年かけて準備をしますが、成果を得られるのは1年後なので、時差がある事にも、違和感を少し感じていました。 学生のころ、飲食店をやっていたんですが、その場で「美味しい」とお客さんからレスポンスが返ってくるのが好きで。そこで「もう一回、飲食やろう」と思って、パルコに入っているカフェにスタッフとして入りました。

 

 

――――― コーヒーに目覚めたキッカケは。

お店にエスプレッソマシーンがあったんです。最初は、なんとなくやっていたものの、細かく知りたくなりました。ラテアートの世界チャンピオンがいる「STREAMER COFFEE COMPANY」に行くと、当時、STREAMER COFFEE COMPANYのほうが勤めていたカフェよりも、カフェラテの値段が安かったんです。「世界チャンピオンよりも、高い値段を取っているのはおかしい」と思い、猛勉強。ラテアートを練習しましたが、「そもそもエスプレッソって何だ?」という疑問が大きくなりました。エスプレッソにこだわっている店を周り、辿り着いたのがPaul Bassettです。

 

 

――――― 勤めるに至ったのは?

最初はエスプレッソの美味しさがよく分からなかったです。飲むうちに、 分かるようになるかな?と毎日通いました。バリスタの方とも話すようになり、ある日バリスタの方に「働きたいです」と話すと、すぐにマネージャーとヘッドロースターにも話を通してくれたんです。

 

 

――――― お仕事はどのようなものでしたか。

小田の働いていた「Caffe Vita」と同じで、マシーンはすぐには触らせもらえませんでした。複数の試験があるのですが、全てに受かるまでバリスタと名乗れません。2~3年バリスタになれない人も居ましたが、僕は半年でテストに受かりました。あるとき、ヘッドロースターと休憩していたら、「独立するから手伝って欲しい」と声を掛けてもらったんです。当時のポールバセットはパンケーキが人気でものすごい数を焼いていたんです。もちろんコーヒーの勉強はたくさんさせてもらいましたが、パンケーキが作りたくて入った訳でもなく、本気でコーヒーを極めたいと思い、2015年に神保町でGLITCH COFFEE & ROASTERSのオープンに携わりました

そして、2016年から2店舗目のCOUNTERPART COFFEE GALLERYのマネージャーを務めました。 「GLITCH COFFEE & ROASTERSの相対物としてライフスタイルとコーヒーを繋げる」というコンセプトでした。プロのフォトグファーやスケートボード団体、スコットランド のブリュリー「Brew Dog」とのコラボレーションも実現させました。その後、再び GLITCH COFFEE & ROASTERSに戻り、マネージャー、トレーナーを始め ました。

 

 

――――― COUNTERPART COFFEE GALLERYでは、アーティストとのコラボレー ションイベントなども積極的に行っていたとうかがいました。その理由は?

僕は、パンクロックとかインディーズとか地下シーンの香りのある音楽が好きです。僕は北海道出身なんですが、札幌には「反東京中心主義」なカウンターカルチャーがあって、札幌から発信する、と北海道札幌から世界に羽ばたいていったアーティストも多かったです。 個人的に、バリスタもカウンターカルチャーだと思っているんです。大量 生産、大量消費ではなくて、一杯一杯作ることにフォーカスしたのがバリスタだなと思って志した部分がある。なので、根っこの部分は音楽もバリスタも僕の中では繋がっているんです。

――――― スコットランドのブリュワリー「Brew Dog」とコラボレーションにはどのような意図がありましたか?

PUNK IPAなど、世界でいちばん流通しているクラフトビールだと思います。作り手もパンクな人で、格好いいんです。直営のバーが六本木にあったので、GLITCHのコーヒーを出してもらうようになりました。ビール用樽にコールドブリューを 入れて、窒素ガスを入れて仕上げる「ナイトロコーヒー」を作り、コラボを果たしました。同じ作り手なので、美味しいものを作るという点では目指すところは一緒なのだと思います。

 

 

――――― Swim coffeeに加わったのは?

小坂田さん「2020年6月です」

小田さん「忙しくなり、小坂田くんみたいな人がいたらいいなと話をしました」

小坂田さん「バリスタって一杯を売る、っていう仕事です。僕も、海外のようにトレーニ ングや焙煎など、一杯を売る以外の働き方をしたいと思っていたところでした。もちろんGLITCHは円満に退社しました。今でも仲が良いですよ」

 

 

――――― 事業内容でボリュームが多いのは?

小田さん「焙煎の卸がメインです。最初はコンサルティング、バリスタのトレーニング、店 舗立ち上げの比重が大きかったんですが、1年かけて卸を増やしていきました」

 

 

――――― その意図は?

 小田さん「事業を安定させるため。現在、お取引がある卸先は30社くらいです。立ち上げの仕事もとても面白いですが、時間が不規則なケースも多い。まずは、卸を安定させて、時間を作ってからコラボレーションをしていきたいと思いました。今後はそこも増やしていきたいですね」

 

 

――――― 生豆は?

「商社さんから仕入れています。いろんな国に行き、豆を選定している、『インポーター

さん』と呼ぶこともありますね。商社さんによって得意不得意があるので、価格バランス、クオリティを判断して仕入れて います。将来的には自社で、ダイレクトトレード(直接取引)したいと思っています。コーヒーに携わる人からすると目指したいところだと思います」

 

 

――――― 使っている焙煎機は?

「オランダで製造されるGiesenの15kgを使っています。Gisenは長い間、ドイツの焙煎機 メーカー・PROBAT社の下請けとしてボディの製造を行ってきた会社です。 機能性100%で選びました。他のマシーンと比べても、とても優れています。価格は高いですが、これがないと仕事になりません。違うマシーンでは不安ですね。釡の圧力調整など、細かく言えば色々な機能があるんですが、『ロースティングチャンピオンシップ』世 界大会で指定機種に認定されていて、信頼度の高い焙煎機です」

 

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――――― なるほど。お仕事のやりがいは?

小田さん「自分で作ったものが認められて、結果になるところ。どこまでも追及できるところ。終わりがないし、18年続けていますが飽きません。未だまだやりたいことが一杯あるので、すごくいい職業だと思います」

小坂田さん「美味しいものを作った時ですね。 焙煎士の技術も上がっていますが、最近は農園での技術も上がっています。栽培から生豆になるまで、ここ数年でかなりレベルが上がっているので、こちらも追いつかないといけない。そこに消費者を巻き込んでいくのは、コーヒー業界の人たちの役目だと思っています。 例えば、コーヒーってコクと苦みというイメージが強いですよね?でも、農園のレベルは、もうそこじゃないんです。フルーティな豆もどんどん作られている。けれど、認知してもらい評価されなければ、そこに価値は生まれません。なので、消費者の底上げをしていかないといけない。

伝える人がもっと多くならないと、消費者も分からないし、強いて言えば業界全体も変わらない。僕みたいな考えを持った人が増えてくれればという想いから、2019年から専門学校で非常勤講師としてカフェの授業を担当しています。10代、20代がそうしたマインドを 持って、育っていってくれたら嬉しいですね」

 

 

――――― ありがとうございます。逆に、大変なときは?

小田さん「コーヒーと関係ない仕事をやらざるを得ないときですね。例えば、企業間の事 務的な仕事とか。価値を正当に見られないといけないので、伝え方にも工夫が必要です。感覚としては、学校のプレゼンテーションとか論文を作るときに似ています。コーヒーを全く知らない人とお仕事する時もあるので、正確に伝えていく難しさはありますね」

小坂田さん「辛いことはないですね。大変なことも試練になります」

 

 

――――  コロナ禍で影響を受ける部分はありますか。

小田さん「取引先で、閉まっているお店もあるので、数字の面で影響はあります。頑張らなきゃいけないことはありますが、働き方はひとつじゃないし乗り越えていけばいいのかなと思います。僕らが見ているお店でも、すごく流行しているお店もあります。この時期でも、ビジョンと意識が違う店は繁盛していますよ」

 

 

――――  ありがとうございます。今後、実店舗を構える可能性はありますか。

「これまで、立ち上げに関わってきたお店が自分のお店という感覚です。なので、今のところは考えていません。理想のお店というのはあるけれど、今はSwim coffeeの事業を広げられる自信があるので。何事も場所とタイミングですね」と締めくくました。

 

 

https://swimcoffee.stores.jp

 

 

 

<講師コメント>

まさにゴーストロースタリー、実店舗を持たずに活躍されていますよね。無店舗経営はコロナ禍で昨今話題になってますが、実は今に始まったことではありません。このように以前より精力的に活動されている方々はいらっしゃいます。経営面で見てもビジネスモデルとしてはとても理にかなったスタイルです。最近では実績が彼らほどなくても始めている個人の方々も増えてきました。まずはやれることから始めてみるのも良いかもしれないですね。またお二人の確固たる実績が更に無店舗経営を加速しているという印象です。これからの活躍、応援してます!!」

 

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中島誠講師

エンタメカフェプロデューサー

(株)ZERO CREATIVE 代表取締役

(株)リノベーションプランニング社外取締役

Instagram:nakajima_makoto_

 

 

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